SSブログ

高倉の宮 [出かけた先のいろいろ]

遠賀郡岡垣町高倉

旧遠賀郡21か村の総社として、歴史を刻んできた
高倉神社がここにあります

“あります” とは書きましたが、全く知らなかった所で
OhIkeさんに案内してもらって、今回初めて訪れました
DSC_4042.2.jpg


祭神は、天照大神 大倉主命 菟夫羅媛(つぶらひめ)命

Wikiによると、大倉主命(おおくらぬしのみこと)とは
神武天皇に『霊剣布都御魂(ふつのみたま)』をもたらした
『高倉下(じ)』のこと とされていますが、疑問点もあるようです

神功皇后が、仲哀天皇とともに筑紫に入ろうとするときや
神功皇后渡海の折も、神助があったとして
202年に勅をくだして、水神であるこの二神を祭り、ここに社を建てた
というのが始まりだそう

神功皇后といえば、九州北部で
その足跡が“こんなに広く?!”とびっくりするほど伝説が残っている人です

さきごろ『yosiさんが行った 宇美八幡』で応神天皇を出産
志免竪坑の志免で、おしめを替えた、と言われています

神宮皇后の実在、非実在の論議はさておいて
高倉宮
DSC_4025.2.jpg

歴史が歴史だけに、ご神木クラスの樹があちこちに・・・
DSC_4023.2.jpg


灯篭には、「宝暦元年」の文字があるので、259年もの?

古来、ここのご神木として、杉楠松楓柳の五樹あったそうですが
神功皇后ご親栽とされる、綾杉と楠のみ残っています

本殿前にある、綾杉
DSC_4027.2.jpg
戦国時代、兵火(1559年)にあって焼け残り
また昭和45年原因不明の出火をも乗り越えて、堂々たる姿を見せてくれます
DSC_4032.2.jpg

ただ、戦火で、本殿や社宝が焼失
その後宗像氏、小早川氏、黒田氏等の権力者の力で復興されています

現在の神殿は、明治9年(西南戦争の一年前)に造営とあります

そして、これ
DSC_4033.2.jpg
1491年 芦屋の鋳物師、大江貞盛によって鋳造された、毘沙門天立像です

芦屋では、鎌倉時代から、桃山時代にかけて
芸術性、技術力の優れた茶の湯釜の一大名産地となりましたが
その後すたれて、今、復興の努力がなされてあります

その名を、芦屋釜

国重要文化財指定の10個の茶釜のうち、8点が芦屋釜だということも
今回初めて知りました

で、その鋳造製法で作られた、毘沙門天像
DSC_4036.2.jpg
毘沙門天なので、足の下に餓鬼
後ろに、制作日付が打ってあり、間近に見ることができます
なんとなく雨ざらしでもったいない気がしましたけど・・・・・


DSC_4038.2.jpg
岡垣では尊ばれている神社で
これだけの由緒を持っているのに、マイナーです
DSC_4039.2.jpg

わずか、西に行ったところに
官幣大社 宗像宮がある、というのは不運だったかも・・・

帰ってネットで調べていたら、『OhIkeさんのところ』にあたりましたよ、さっすが!

“厄除け” として信仰を集めているとのことですので
気になる方は、ぜひ一度行ってみてください!
nice!(7)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:バイク

nice! 7

コメント 2

barbie

御神木がすばらしいですね。
よい気が溢れてるのでは(^_−)−☆
by barbie (2011-06-28 07:52) 

T2

☆barbieさん こんばんわ!

気付くの遅れてすいません
ほんと、なかなかの神社でした
パワースポットとして、もっと有名になっても
おかしくないです(^o^)
by T2 (2011-07-23 00:24) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

熱烈歓迎 その3きままに・・・ ブログトップ
 

 読んでいただき、ありがとうございました!  ブログランキング・にほんブログ村へ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。