その面積 約4.8k㎡ [遠征番外編]
今回、沖縄を南北に走って
「結構起伏の多い地形だったんだなぁ」
ということを改めて理解しました
そんな「起」のひとつです
1945年4月から2カ月
言うまでもなく沖縄戦があった期間ですが
その初期の時期に激しい戦闘が行われた場所の一つ
嘉数台
この丘陵を死守する日本軍と、南進してきた米軍との戦闘は
16日間にも及んだそうです
詳しい戦闘内容は省きますが
後世に残る、防御戦闘の模範とされているそうです
登り口には、砲弾のあとが残った壁が移設してありました
長い階段の途中、ちょっと横に自然壕を利用した、陣地あと
登ったところに、平和を望む展望台
ここから見下ろすと、普天間基地です
(米軍の侵攻してきた方角)
公園頂上には、「京都の塔」
京都出身者2530名の供養塔です
この一角には、「島根の兵奮戦の地」や
朝鮮半島出身者を祀った「青丘之塔」がありました
その足元に、トーチカ跡
砲撃によって、崩れた跡をそのままみることができます
まったく下調べしてなかった場所でしたが
コメット君に教わりました(ありがとう!)
ほんとに、見ておいてよかった と思わせる場所でした
ここで行われた戦闘については、『こちらを』
4.8k㎡の広さの普天間飛行場つながりで、もうひとつ
嘉数台は、普天間の南側に位置していますが、こんどは、北側
『佐喜眞美術館』です
宜野湾市にある、私立美術館ですが
普天間基地の一部を取り戻して、1994年に開館
「原爆の図」の作者でもある、丸木位里・俊夫妻の
『沖縄戦の図』が常設展示してあります
その大きさ(400×850)もさることながら
やはり、絵そのものに圧倒されました
他にも、沖縄戦を描いた絵が、展示されています
入れ替わりに、盛岡の修学旅行生が平和授業の一環として
入場してきました、絵の前で説明もあるようです
この美術館のもう一つの特徴が、これ
屋上から登れる階段
その登った先に、普天間基地が広がっています
反対に見下ろすと
いかに、住居地に基地が隣接しているかがわかります
さて、まじめに勉強、沖縄の歴史を考えた後
ちょっとやわらかいネタ・・・・・
沖縄名物は、数々ありますが、これは食べないと、の沖縄そば
北谷にある、「浜屋」にやってきました
昔、食べたときの印象が悪かった沖縄そばですが
(食べたところが悪かったはず)
今回はおいしかった!!
すぐ横は海で、ダイビング講習なんかもやっているのか
スーツを着たまま食べている方たちも居ました
目の前は、もう海でした
沖縄編は、もうちょっとあります。
「結構起伏の多い地形だったんだなぁ」
ということを改めて理解しました
そんな「起」のひとつです
1945年4月から2カ月
言うまでもなく沖縄戦があった期間ですが
その初期の時期に激しい戦闘が行われた場所の一つ
嘉数台
この丘陵を死守する日本軍と、南進してきた米軍との戦闘は
16日間にも及んだそうです
詳しい戦闘内容は省きますが
後世に残る、防御戦闘の模範とされているそうです
登り口には、砲弾のあとが残った壁が移設してありました
長い階段の途中、ちょっと横に自然壕を利用した、陣地あと
登ったところに、平和を望む展望台
ここから見下ろすと、普天間基地です
(米軍の侵攻してきた方角)
公園頂上には、「京都の塔」
京都出身者2530名の供養塔です
この一角には、「島根の兵奮戦の地」や
朝鮮半島出身者を祀った「青丘之塔」がありました
その足元に、トーチカ跡
砲撃によって、崩れた跡をそのままみることができます
まったく下調べしてなかった場所でしたが
コメット君に教わりました(ありがとう!)
ほんとに、見ておいてよかった と思わせる場所でした
ここで行われた戦闘については、『こちらを』
4.8k㎡の広さの普天間飛行場つながりで、もうひとつ
嘉数台は、普天間の南側に位置していますが、こんどは、北側
『佐喜眞美術館』です
宜野湾市にある、私立美術館ですが
普天間基地の一部を取り戻して、1994年に開館
「原爆の図」の作者でもある、丸木位里・俊夫妻の
『沖縄戦の図』が常設展示してあります
その大きさ(400×850)もさることながら
やはり、絵そのものに圧倒されました
他にも、沖縄戦を描いた絵が、展示されています
入れ替わりに、盛岡の修学旅行生が平和授業の一環として
入場してきました、絵の前で説明もあるようです
この美術館のもう一つの特徴が、これ
屋上から登れる階段
その登った先に、普天間基地が広がっています
反対に見下ろすと
いかに、住居地に基地が隣接しているかがわかります
さて、まじめに勉強、沖縄の歴史を考えた後
ちょっとやわらかいネタ・・・・・
沖縄名物は、数々ありますが、これは食べないと、の沖縄そば
北谷にある、「浜屋」にやってきました
昔、食べたときの印象が悪かった沖縄そばですが
(食べたところが悪かったはず)
今回はおいしかった!!
すぐ横は海で、ダイビング講習なんかもやっているのか
スーツを着たまま食べている方たちも居ました
目の前は、もう海でした
沖縄編は、もうちょっとあります。
読んでいただき、ありがとうございました!
そばは当たり外れがありますよね!
店構えがいいからといって入って失敗したもん。
またそーきそば食べたい!
基地へとのびる階段は考えさせられるものがありますね。。
by かおりん (2011-12-06 12:21)
基地と隣り合わせのしまに住んで、基地に勤務する人もいる。
基地がないと、外貨獲得もできないし、雇用も生まれない。
しかし、基地の撤退は進めたい。
沖縄としては、もどかしい問題ですよね。
沖縄そばも、いろいろありますよ!
お勧めのところを紹介すればよかったと今になって後悔・・・(苦笑)
by コメ (2011-12-06 20:54)
姉が沖縄に移り住んで5年になります。
ほんとにほんとに複雑だそうです。
とくに前しか見ない私とちがってw ^^;
名護レポなど拝見してきましたが、
リゾート観光とちがってふかーーーーーいですね!
by とりてん (2011-12-06 22:55)
トーチカ跡の写真、鉄筋が出ていなければ岩のようにも見えますね。
時の流れを感じます。
恒久平和のためにも忘れてはいけない歴史だと思います。
by yosi (2011-12-07 10:10)
☆かおりんさん こんばんわ!
そうだよね~
むか~し食べたのが、印象悪くて・(^^;
でも、今回はおいしかった!
美術館を見て、そして階段を登って基地を見る
なかなか考えさせられましたよ
☆コメットさん こんばんわ!
基地で働いている人、関係で仕事をしている人
それもまた事実
佐世保なんかもそうだけど、生活は止まってくれないから
いい方向に向かってくれたらいいな、と
“沖縄そば” そうだね~
とりあえず、ブログに“食日記”アップを!(笑)
☆とりてんさん こんばんわ!
5年ですか~
観光でいくと、さらっとしかわからないので
いろんな話があるんでしょうね
”リゾート”は、前回(十数年前)にきたときにしたので
「らしく」 ウロウロしてみました(^o^)
☆yosiさん こんばんわ!
九州でみる、砲台跡やトーチカは空襲ぐらいですが
地上戦の激しさの中にいた生々しさを感じました
本当に、もっと知るべきだと思ってます
by T2 (2011-12-09 23:46)
沖縄本土の戦争遺産は
僕が見てる廃墟とは別の負のオーラを放っていますね。
ソバはたしかに当たりはずれがありそうです。
宮古島で食べたやつもイマイチでした。
by 響 (2011-12-11 18:17)
☆響さん こんばんわ!
やっぱり、沖縄の戦争遺産は特別だと思います
今回、改めてネットで戦時の話を見てましたが
ほんとうに知らないことが多くて・・・・
“ソバ” やっぱり?
店選びが重要だということが、よくわかりました (^o^)
by T2 (2011-12-13 23:37)
社会科の授業はまじめに受けてたんですが^^;
学校では習わない歴史の一面ですね。
2530名もの京都出身者が犠牲になってたとは知りませんでした。
by barbie (2011-12-14 13:15)
☆barbieさん こんにちは!
親が戦争体験世代なんで
教科書に載らないことも、結構聞いてますが
まだまだ知らないことがたくさんあります
摩文仁の丘のほうに、いろんな県の墓碑がありましたが
ここに京都の碑があるのは知りませんでした
後から知ったんですが、墓石は鞍馬石だそうです
by T2 (2011-12-14 16:25)